dm-mnbの日記

このブログでは、教育関係のことなどを中心に、調べたことや考えたことなどを書いていこうと思います。

共同体多様化の時代

本エントリでは、教育ではなく社会について考えたいと思います。

テーマは、「共同体」です。

主に、宮台真司さんと堺屋太一さんの影響を受けています。

日本における共同体の変遷と、現在の共同体の在り方について、自分なりにまとめたいと思います。


○ 共同体の必要性

人間は社会的な生物と言われます。

分業が始まり、社会契約が行われるようになるとき、人間は必ず何かのコミュニティに属します。

それは、利益最大化のために効率的だという考え方もありますが、

人間が尊厳や自信を持って生きていく上で、他者からの承認が必要だから、という理由もあるでしょう。

そのため、共同体に属することで、日々を安心して生活することが出来るのです。


○ 血縁社会

おそらく、最も最初の共同体は「家族」です。

人は、配偶者との間に子供をもうけてDNAを伝承します。

親は子供を守り、育て、子供に対する責任を負います。

このように共同体に属するということは、他者からの庇護を得て、責任を共有する、という仕組みがみられます。

例えば、マナーの悪い若者がいた場合、「親の顔が見てみたい」と言われるのは、人間が生来的に血縁社会に組み込まれていることを示します。



○ 地縁社会

次に人が属する共同体は、地縁社会です。

農業を集団で協力し合いながら行うことで、近くに住む人々との強いつながりが生まれます。

封建制の時代には、地主をコミュニティのリーダーとして、その近くに住む人たちがムラ社会を形成しました。

共同体内部では農作物を分け合い、誰もが食いっぱぐれないように助け合います。

責任も共有し、誰かが反倫理的な行為に及ぶと「村の恥だ」となります。

しかし、このような地縁社会は、戦後の農業社会から工業社会という産業構造の転換に伴い衰退します。

地方の農村部出身の若者は、出世を目指して都会に繰り出します。


○ 職縁社会

こうして形成されるのが、企業を一単位とする職縁社会です。

これは、戦後高度成長期に確立された日本型雇用と共鳴します。

すなわち、終身雇用、年功序列の形態で、ある企業に就職したら、退職するまでその企業で働きます。

雇用が安定化し、将来の見通しも立ちやすいため、職縁社会に属することで安心を得られます。

また、職務でなく職能で評価を行う仕組みにより、様々な部署に転勤する可能性が大きくなります。

転勤も起こります。そのため、地縁社会の崩壊が増長されました。

責任の共有は、企業内で行われます。

もし従業員が不祥事を起こすと、「会社の顔に泥を塗った」となり、役員が謝罪会見を開きます。

しかし、90年代にバブルが崩壊し、日本は不況時代になりました。

日本型雇用制度にも、限界が見えるようになりました。

大企業であっても、倒産しないという保証はなくなり、共同体そのものの存立の基盤が脅かされるようになりました。


○ 現代の共同体

それでは、現代は、人々はどのような共同体に属しているのでしょうか?

職縁社会は、もはや機能不全に陥っていると言えます。

新卒労働市場就職氷河期を経験し、非正規雇用が増大しました。

雇用期間が決められている場合、そこに帰属意識は生まれるでしょうか?

正規雇用では逆に、長時間労働が問題となっています。

この先、雇用の流動性を高める方針が取られるでしょう。

そうすると、もはや職縁社会は解体します。

それに代わる、現代の共同体とは何でしょう?

私の考えでは、今は社会の中に様々な共同体が乱立している状況ではないかと思います。

職縁社会の解体といっても、やはり非正規雇用は若者が多く、年輩の方はまだ職縁社会への帰属意識があるでしょう。

世代間格差と言われますが、共同体構造においても、世代間で異なる構造をとっているように感じます。

では、若者が帰属する共同体群とは何で構成されているでしょう?

例えば、趣味を同じくする共同体。

•箱縁社会

これは宇野常寛氏が言っていますが、サブカルというジャンルを場として、ネットを介したコミュニティが生まれています。

しかし、ネットの場だけで安心を得ることはできません。

そのような人たちは、リアルの場では「箱」に集まると言われています。

例えば、アニメや漫画が好きな人たちは、年に二回のコミックマーケットに参加します。

それには、お台場ビックサイトという地域に必然性はなく、ただ箱の大きさだけが問題となります。

例えば、AKBのようなアイドルが好きな人たちは、ライブハウスに集まります。

そこで共同体の構成員たちと、オタ芸というコードを共有し、安心を得ます。

また、責任の共有の現象も見られます。

犯罪を犯したものがアニメ好きだった場合、その点が過剰に報道され、視聴者はおたくコミュニティを想起するでしょう。

ただし、これには宮台氏からの批判があって、彼らが得ている「安心」は「埋め合わせ」であって、心からの安心ではない、ということが言われています。

また、サブカル文化は、日本社会においても一部の層しか浸透していないでしょう。


•志縁社会

次に、やはり生活の大部分は働いている時間が長いため、職縁社会と似た構造が生じているでしょう。

ただし、伝統的な大企業とは違い、少数精鋭によるベンチャー企業やNPOに帰属する若者が増えているように思います。

その点を踏まえて、あえて職縁社会とは名前を変え、「ある志のもとに集まった集団」という意味で志縁社会と呼びます。

これには、社会貢献を目指してバリバリ活動している団体から、古市氏が新書にまとめたピースボートのような団体まで、様々なものを想定しています。

安心や責任共有の構造は、職縁社会と類似しています。

ただし、終身雇用ではないため、安心の要因は異なります。

また、責任の共有も、団体が無名な場合、共有機能が弱くしか働かないかもしれません。

その点で、共同体としての力は従来のものより劣るかもしれません。


•同窓会社会

最後に、地縁社会と類似の共同体にも言及します。

若者たちが共同体を形成する場合、結局地元に戻る場合も考えられます。

例えば、ストリートで集まって、ダンスをしている集団のような現象に現れます。

また、私自身、どのような共同体に属している感覚かというと、大学時代のサークルの仲間のコミュニティに支えられている、という実感があります。

ただし、この共同体には、強力な資本を持ったリーダーというのが想定できません。

そのため、やはり安心と責任共有の基盤が確保されていないと思われます。




以上、若者が属している共同体に関して、3つの例を挙げました。

これらの共同体は、おそらく90年代以前にもあったでしょう。

 

しかし、力を持っていた共同体が解体され、相対的に信頼度が増した共同体と考えることは出来ると思います。

 

ただし、どれも、従来の共同体と比較して、力が弱いように思います。

では、今後若者は、どのような形で安心と責任共有の土壌を作っていけばよいのでしょうか?

そのヒントの1つは、また地域の共同体へと帰っていくことです。

その場合、転勤があった場合でも、地域の共同体に参入しやすい仕組みが必要です。

このヒントを確かめにいくために、市役所が開催しているイベントに、参加してみたいと思います。


○ 教育との関わり

今回のエントリは、一見全く教育と関係していないようですが、私の意識としては教育と深く関係しています。

子供たちは、学校の教育課程を終えたら社会に出て行きます。

その際、今までは子供たちが将来所属するであろう共同体に、学校は全く関わらないでよかったのですが、今は時代の転換期にあります。

もし、地域のコミュニティに所属することが大事だった場合、その価値観を伝達しなければなりません。

また、コミュニティ•スクールの実践が蓄積されてきており、今後全国展開されていくとすると、地域と学校の関わりは、重要なものになってきます。

逆に言うと、今「開かれた学校」作りが叫ばれている背景には、職縁社会の崩壊と若者の帰属コミュニティの貧困があるとも言えるのではないでしょうか。

義務教育と学習ミニマム

何を教えるべきか?という疑問に対しては、様々な立場から様々な提言が為されている。

近年では、外国語教育を小学校中学年に取り入れることが決まり、

その前を辿っていっても、情報教育、日本史、総合的な学習などが取り入れられた。

さらに、今後は道徳も教科として教えることが目指されている。

このとき、大切なこととして、どんなことでも教えることのメリットはあるのが普通なので、教えないことについて語らなければならないとよく言われる。

やっかいなことには、教育は全国民に対して平等なものと思われていることと、教科の多様化+程度問題の議論が渾然一体となっていることである。

英語は、全国民がしゃべれるようにならなければならないのだろうか?

もちろん、グローバルな場で活躍する人材は必要だろうし、そのような子には英語に障壁を感じることがないように教育したほうがよい。

しかし、それは全員が目指すべきことなのだろうか?

教えなければならないことが増大している現在、教育の平等性と目指すべき程度について、しっかり整理しておく必要があると考える。

今回のエントリは、「日本を滅ぼす教育論議」(岡本薫 著)から影響を受けて書いている部分が大きい。

○「結果平等」と「結果不平等」について

まずは、「結果平等」と「結果不平等」について整理したい。

大人になって、社会に出た状態を考えると、経済力、権力、威信、知識・技能などの社会的資源は必ず個人間に格差が生まれているだろう。

つまり、これは「結果不平等」の状態であり、いずれは必ずこの状態に行き着く。

では、義務教育について考えてみよう。

憲法が他の法律と区別されるのは、①命令の客体と②根拠が文面か意思か、という2点においてだという。

憲法26条に教育の義務について書いてあるが、この条文を文面通りに捉えるのではなく、「憲法意思」に照らして解釈する必要がある。

すると、これは、全ての子が「学校に来ていいよ」という「教育の機会均等」だけでなく、全ての子が「これこれについては必ず学んで欲しい」という「教育の結果平等」を含んでいると解釈できる。

ここで、2つの分離した状態が生じる。

義務教育で目指されているのは「結果平等」であるはずだが、学校教育段階を経て到達する社会は「結果不平等」である。

ここをいかに接続していくか、というのが中等教育段階に課せられた使命である。

○ 学校制度の歴史

明治以降の学校制度についても見てみよう。

明治5年に学制が発布され、明治12年には学校令が定められた。

その後、明治19年に帝国大学令が公布され、帝国大学が創設された。同時に、小学校令が公布され、小学校についても整備された。

このように、専門教育、結果分岐点としての大学と、基礎教育、国民教育としての小学校が、上から下から同時に制度として整っていった。

これを追うようにして、明治32年に中学校令、高等女子学校令、実業学校令が公布され、中等教育段階が繋ぎ目として整備されていった。

戦後には、教育基本法学校教育法が制定され、中学校が義務教育になった。

そして、中等教育段階前期と後期が明確に役割としても違いを持ったにも関わらず、1960年代後半から高度経済成長・教育の大衆化が起こり、実質としては境界が曖昧なものになっていった。

このように、中等教育段階では、「上」と「下」の性質が全く異なる上に、中等前期と中等後期についても分離化・曖昧化が起こったために、議論が複雑になってしまうのである。

○ ナショナル・ミニマム

ここで、やはり我々は、「結果平等」と「結果不平等」とその「繋ぎ目」に関して、はっきりと区別しなければならない。

つまり、義務教育に関しては、憲法意思の即して「結果平等」を確保しなければならない。

そして、義務教育を終えた段階で、「結果不平等」にいかにして接続していくか、という部分を、細かく考えなければならない。

ここでは、「結果平等」について考える。

すなわち、誰もが最低限身につけなければならないことは何か?ということである。

例えばイギリスでは、すでにそのような議論が重ねられ、ナショナル・カリキュラムとして制定されている。

日本では、誰もが身につけなければならないこと、と、日本人の一部は身に付けてもらわないと困ること、が区別されずに議論されていきた節がある。

ただし、東京都の政策で参考になるものがある。

「東京ミニマム」と呼ばれるもので、もとは小学校における学級崩壊や中1ギャップなどに対応したものだったが、

最低限教えなければならないことは何か?ということに関して、評価基準を提案している。

私の考えでは、このような「ミニマム」について、地方自治体毎でも国で一括でも定め、教育の結果平等を目指す姿勢に賛成する。

この考えでいくと高校では、「ミニマム」の存在は不要となる。

ゆとり教育問答のときに、当時の文科省のスポークスマンであった寺脇氏が「学習指導要領はミニマム」「全員が100点を取れるような内容削減」などといった言論活動を行い、

今では「学習指導要領はミニマム」と考えるのが一般的である。

では、高校の学習指導要領はどのような位置づけなのか?学習指導要領がミニマムならば、100点を取れない生徒に対してはどうすればいいのか?などについて、非常に曖昧な状態であると思う。

 

今後は、最低限全員が身につけなければならないものと、その程度は何か?ということに関して、もっと議論していくことになるだろうと思う。

その実践の例として、「東京ミニマム」についてもっと調べていきたい。

このブログと東京都教員採用試験について振り返り

更新が滞っていてすみません。

東京都の教員採用試験の1次試験に向けた情報提供を目的として更新を続けていましたが、

志半ばで本年度の1次試験は終了してしまいました。

しかし、今後も断続的に試験対策的な情報提供は行っていきたいと思います。

それでは、教職教養の教育法規の分野について、簡単に今年度の振り返りをしたいと思います。

前に教育法規の出題分野に関するエントリを書きましたが、実際どうだったかというと、傾向は今年もほとんど同じと言って良いと思います。

f:id:dm-mnb:20140726230413p:plain



予想通り、教育法規に関しては、上記の範囲から8割出題されました。

上記になかったものは「食育基本法」と「子どもの読書活動の推進に関する法律」です。

正直に言って、この2つの出題はびっくりしました。

来年以降対策が必要なのかどうかは、まだ不明だと思います。

また、(11)には今年も「児童福祉法」に関する出題がありました。

児童福祉法」は押さえておいて損はしないでしょう。

結果として、私は86点(自己採点)を取ることが出来ました。

ただし、専門教養が微妙だったので結果はどうでしょう...

東京都は論文で決まるとも言われますしね。

おとなしく結果を待ちたいと思います。

ところで、このブログですが、アクセス数を見てみたところ、やはり、というか面白い結果が出ていました。

f:id:dm-mnb:20140726230447j:plain



採用試験当日まではアクセス数が上り調子で、試験の翌日からパタリとアクセス数が減っています。

やはり、旬の話題を扱った方がよいのでしょうね。

ただし、そういうことは気にせず、今後もゆっくり情報発信していこうと思います。

また、はてなブログのサービスにあるアクセス解析を見てみると、

どうやらエンカレッジスクールで検索していらっしゃる方も多いようです。

また、都知事選前はそのアクセスワードも上位でした。

 

今回のアクセス数の推移を見て、私がまとめている情報も他の方に役立っている、というのを実感できて嬉しかったです。

今後は、道徳の教科化についてや、生徒のやる気を引き出す仕組みなどについても、考えていきたいと思います。

どのエントリも、議論や考えのきっかけになれば幸いに思います。

区市町村教育委員会にできることできないこと

教育委員会といっても、各都道府県においては、
都道府県の教育委員会と各区市町村での教育委員会があります。

この2つの役割は、どのように違うのでしょうか?

主に、教員採用試験で過去に問われている部分についてまとめたいと思います。

まず、押さえておきたいのは、「県費負担教職員制度」についてです。

○ 県費負担教職員制度

これは、区市町村立小・中学校の教員についても、

①教職員の給与の負担(1/3 は国庫負担)

②教職員の任命

都道府県教委が行う、という制度です。

f:id:dm-mnb:20140709174516p:plain


文部科学省: 県費負担教職員制度より)

なぜかというと、(i)財政が安定している都道府県が支出することで、一定水準の給与と教員の質の確保を目指し、(ii)教職員の適正配置と人事交流を図る、のが目的だそうです。

そのため、以下の点に注意が必要です。

==============================
・任命権

市町村立学校の教員は県費負担職員であるため、区市町村教委に任命権はない。(地方教育行政の組織及び運営に関する法律第37条)
市町村立学校の先生であっても、任命権者は都道府県教育委員会

ex. × 主幹教諭は, 都立高校においては東京都教育委員会が, 区市町村立学校においては区市町村教育委員会が, 職として発令する。
(どちらの場合も都道府県教委)

ただし、人事の任免は、区市町村教委からの内申を待って行う。

===============================

このような構図になっているため、以下の点が試験で問われます。

==============================
・採用・昇任
選考によるものとし、その選考は任命権者である都道府県教育委員会の教育長が行う。

(× 教育公務員特例法では、公立学校の校長の採用並びに教員の採用及び昇任は、選考によるものとし、その選考は、当該学校を設置する地方公共団体の長が行うとされている。(2014過去))


・校長・教員の任命
校長や教員は、教育長の推薦により、都道府県教育委員会が任命する。


教育委員会の所管に属する学校その他の教育機関の校長、園長、教員、事務職員、技術職員その他の職員は、法律に特別の定がある場合を除き、教育長の推薦により、教育委員会が任命する。(地方教育行政の組織及び運営に関する法律第34条))

===============================

以上、人事に関する事柄は、内申を除いて都道府県教委と覚えておけばよいようです。

なお、自治体の長には、教育委員の任命などの役割があります。

人事以外については、以下のような部分で、区市町村教委の役割があるようです。

==============================

・服務の監督
服務の監督は区市町村教委が行う。

ex.× 政令指定都市を除く区市町村立学校の教員の服務は、任命権者である都道府県教委が監督する。

・休業日
夏季、冬季、学年末、農繁期等における休業日は、区市町村立学校においては
区市町村教育委員会が定める。

・性行不良による出席停止
公立の小•中学校には停学•退学がない。
そのため、性行不良であって他の児童の教育に妨げがあると認める児童があるときは、
その「保護者」に対して児童の出席停止を命ずることができる。
この主体は、区市町村教育委員会である。

(感染症による出席停止は校長、臨時の休業は学校の設置者(都道府県教委又は区市町村教委))

================================


日本の制度では、中央集権的に、文部科学省をトップとして、現場の学校まで体系的に構造化されています。

その際、文科省 - 教育委員会 - 現場の学校 の三者の関係で捉えがちですが、

(高校の場合はそれでもいいのですが、)

教育委員会の中でも都道府県教委と区市町村教委の間に微妙な役割の差がある、ということをt押さえておこうと思います。

東京都教職教養試験の傾向 教育法規編

本エントリでは、教職教養試験、特に教育法規について考えます。教育法規以外については、また別エントリでまとめます。

東京都は、教職教養の中でも「教育法規」のウェイトが高いことが知られています。

教育法規とはすなわち教育関連の法律の知識です。各教員には、法に則り、法を遵守する意識が求められているのでしょうか。

例年10問×4点=40点が教育法規に関する問題です。

ただし2014年度の問題は、(11)に児童福祉法の設問が出ており、これを含めると2014年度に限っては43点分が教育法規からの出題です。

教職教養にあたっては、まずこの分野の勉強が必須でしょう。


傾向を見てみると、かなりはっきり出題傾向が分かります。

以下の表に、過去5年分の傾向をまとめます。

f:id:dm-mnb:20140331174727p:plain



以上の12項目をしっかり勉強しておくことで、実に過去5年分の8~10割の問題がカバーできるのです。



以降のエントリでは、この12項目に対する対策をまとめていきたいと思います。

ただし、これでは過学習になってしまう可能性もあるので、時間があったら2009年度以前の問題も見てみたいと思います。

以下では、上の表をつくるもとになったデータを掲載しておきます。

過去問の(1)〜(10)まで、どの分野に入るのかを自分なりに整理したものをそのまま載せます。

おかしいところがありましたら、知らせて頂ければ幸いです。

-----

2014年度

日本国憲法、学期・休業日、懲戒・出席停止、就学関連、表簿等、学校保健、職務、任用・採用、免許、地方公務員の服務、児童福祉法

2013年度

日本国憲法入学・進学・卒業、懲戒・出席停止、就学関連、表簿等、学校保健、免許、研修、地方公務員の服務、教育委員会

2012年度

日本国憲法、学期・休業日、懲戒・出席停止、就学関連、表簿等、教科書用図書、学校保健、職務、免許、地方公務員の服務

2011年度

日本国憲法学校の設置、学期・休業日、懲戒・出席停止、表簿等、教科書用図書、職務、任用・採用、研修、地方公務員の服務

2010年度

日本国憲法教育基本法、就学関連、表簿等、学校保健、職務、免許、研修、地方公務員の服務、校長の職務

 

(下線部は表にない分野からの出題)

東京都の学校の種類 構造から見るエンカレッジスクールとチャレンジスクールの違い

東京都立高校には、たくさんの種類の学校があります。

特に今回、エンカレッジスクールとチャレンジスクールの違いについて調べたいと思い、

ついでにその他の種類についても調べてみました。

参考にしたのは、主に東京都教育委員会が出している、「平成25年度東京都立高等学校に入学を希望する皆さんへ」(日本語版)です。

まず、体系的にザッとまとめたのが以下の図です。

f:id:dm-mnb:20140314211306j:plain



図は適宜はしょっているので、正確な情報は先程のリンク先を辿ってください。

特に、全日制のビジネスコミュニケーション科や産業科などは、スペースの都合上反映されていません。

さて、以上が図の注意として、本題のエンカレッジスクールとチャレンジスクールの違いですが、

まず、構造的に違いがあることがわかります。

エンカレッジスクールは全日制の学校ですが、チャレンジスクールは定時制になっています。

チャレンジスクールが含まれる「昼夜間」の定時制というのは、一日を三部制に分けて、自分のペースで学習を進めていける「新たなタイプの定時制高校」として位置づけられています。

f:id:dm-mnb:20140314210824p:plain

「平成25年度東京都立高等学校に入学を希望する皆さんへ」(日本語版)、5.多様なタイプの学校等の紹介より)


1日に45分授業を4時間受け、3年〜4年かけて卒業するようになっています。

一方エンカレッジスクールでは、30分授業や体験学習の導入など、普通科であるのに特徴的な施策が行われています。

これだけでも、名前はカタカナで似たような印象を受けるけど、全然違うシステムなのだな、と分かります。

次に、導入の時期ですが、Wikipediaによると、チャレンジスクールが導入されたのは、1999年の桐ケ丘高校が最初、エンカレッジスクールは、2003年に足立東高校、秋留台高校で導入されたのが最初のようです。

チャレンジスクールの方が導入は早かったのですね。

最後に、各学校の目的ですが、エンカレッジスクールでは「小・中学校で十分能力を発揮出来なかった生徒の・・・」とありますが、チャレンジスクールでは「小・中学校での不登校高校での中途退学を経験した生徒など・・・」とあり、チャレンジスクールは中退者の受け皿であることが明確になっています。

以上のように見ていくと、

エンカレッジスクールは、普通科だけれども、意欲がなかったり発達障害があるなど、特別な配慮が必要な生徒の集まる学校、

チャレンジスクールは、一度常道のルートからは外れてしまったけれども、もう一度勉強を普通に一生懸命やり直したい生徒が集まる学校、

だと考えることができます。

大阪府の教育改革では、高校生でも学力に応じて中学校や小学校の復習から始められるようにするとのことですが、東京都ではそれがエンカレッジスクールに対応するのでしょう。

また、一度中退してしまった生徒の受け皿が、都会は充実しているとの話もありますが、それがチャレンジスクールに相当するのでしょう。

エンカレッジスクールの指定後は、中退者が着実に減少する、という効果もあるようです。

しかし、まだまだ将来の可能性が開けている高校生の段階で、自分は小学校レベルから勉強し直すんだ、ということを制度的に明示的に示して良いのでしょうか。

それで高校生の自尊感情は育つのでしょうか。

あと、今回調べた感想は、本当に東京の高校は細分化が進んでいるな、ということでした。

顧客ニーズに合わせた対応なのでしょうか。

これは、本当に、公教育のあるべき姿なのでしょうか。

アカデミアでは、専門領域の細分化が批判されており、教養主義の復活が注目を集めていると思います。

高校の細分化は、この流れに逆らうものなのではないでしょうか?

高校生の単位認定と授業時数 そして1日当たりの授業コマ数

実際に高校の先生になったとして、1日あたり授業は何コマくらいあるのでしょうか?

理科の授業ってどのくらい多いのでしょうか?

本エントリでは学習指導要領から逆算してみたいと思います。

 

(計算を省いて、答えだけ言うと、一週間当たり10〜20コマ、一日当たり2〜4コマです。)

 



小学校・中学校の指導要領では、授業時数が決められています。

授業時数とはコマ数のことで、45分なり50分の授業が年間で何コマ必要なのかが定めてあります。

しかし、高校の指導要領に書いてあるのは単位数のみです。

これでは授業が全部で何コマあるのかわかりません。

なぜ高校だけ表し方が違うのが分かりませんが、分かりにくいのでここにまとめておきます。

単位数については、指導要領の総則に載っています。

***

総則 第二款(ダイニカン)(カンっていうのも読めなかった)

単位については、1単位時間を50分とし、35単位時間の授業を1単位として計算することを標準とする。

卒業までに必要なのは、総合的な学習の時間(3~6単位)を含む74単位以上とする。

***

ということで、1年あたりに25単位ほどが必要です。

年間あたりに必要な授業時間は、25単位×35単位時間×50分=43750分=約730時間です。

年間授業日数は190〜200日程度のようなので、仮に190日とすると、1日当たり4時間弱になります。

単位に必要な時数ギリギリだと、1日4〜5コマ出席すればよさそうです。

LHRとか特別活動とかがあるから、実際はもっと学校にいるのですね。

さて、ではその中で理科はどうでしょうか。

ここからは理科の話です。

***

総説 第三節 理科の科目編成より

科目名          標準単位数
「科学と人間生活」      2
「各科目基礎」        2
「各科目」          4
「理科課題研究」       1

(各科目には、物理、化学、生物、地学が入ります)

必修:
「科学と人間生活」と、「各科目基礎」から1科目、もしくは、
「各科目基礎」から3科目

***

理科で何単位取るかは各学校によって違うでしょうが、試しに文系と理系のモデルケースを考えてみましょう。

まずは理系から。

仮に「物理基礎」「化学基礎」「生物基礎」及び「物理」「化学」「生物」を履修するとすると、

全部で18単位。年間当たり6単位。6単位×35コマ=210コマ。

なので、1日当たり1〜2コマ理科の授業があります。

次に文系。

仮に「科学と人間生活」「○○基礎」を2科目を履修するとすると、

全部で6単位。3年生では理科をやらないとすると、年間当たり3単位。3単位×35コマ=105コマ。

なので、2日に1コマ程度理科の授業があります。

もう実際どうだったかは忘れてしまったし、自分は理系なので文系の人は理科をどのくらい学んだかはなおさら分かりません。高校1年のときは文理分けはないので同じ進度のはずですしね。

一応平均的な感覚で、上記の計算をあてにするとします。

僕の母校は1学年あたり文系4クラス、理系4クラスだったと思います。

そのため一週間に必要な授業数は、

***

1,2年生:

文系:3コマ×4クラス=12コマ
理系:6コマ×4クラス=24コマ

3年生:

理系:6コマ×4クラス=24コマ

***

なので、一週間あたり学校全体で1年生から3年生まで合わせて、60コマ必要です。ただし、土曜日は除いています。

物理や化学などの科目担当は、大体で週20コマだとします。

これでいくと1日当たり4コマ程度になりますね。

しかし、もし科目担当が2人いたらこの半分。上記の計算では、学校に理科の教員が6人いた場合に対応します。

 

3人いたら...

というか、平成18年度の勤務実態調査がありました。

これによると、やはり平均1日当たり3コマ程度のようです。

なので、残り3コマはその他の業務。

1日あたり、1時間程度は、勤務時間中に授業準備ができるのでしょうか。

部活指導や生活指導、進路指導のための情報集めなどで忙しいと考えると、やはり授業準備のために働く時間は、全体のうちの少ない割合しか占めないようです。