dm-mnbの日記

このブログでは、教育関係のことなどを中心に、調べたことや考えたことなどを書いていこうと思います。

校長先生との面談の記録

3月4日に某都立高校の副校長先生から連絡が来て、3月6日に校長先生との面談を行いました。

場合によっては、面談の結果、不採用、ということもあるようです。

しかし、僕の場合は、どうやらよっぽどのことがない限り採用、ということになっていたようです。

校長先生、副校長先生と3人で面談を行った後、教科の先生ともお話をすることができました。


○ 校長先生・副校長先生との三者面談

まずは、学校の様子について伺いました。

基本的には、生徒は大学進学、特に国公立大学への進学を目指し、教員もそれに向けて指導する、とのことです。

生徒はどちらかというと大人しく、話をよく聞くようですが、分からないところは「分からない!」とはっきり言ってくるようです。

そちらの方がありがたいと思います。

また、修士論文における研究やボランティアの経験についても少し質問されました。

その結果や、私の希望などを踏まえて、校務分掌が決まるようです。

特に、私の希望を聞いてもらえるとは思っていなかったので、とてもありがたいと思いました。

部活の希望も聞いてもらえるようです。第一希望から順に記入する用紙をいただきました。

4月1日に提出する予定です。

また、今の住所や通勤経路・通勤時間などについても質問されました。

その他では特に、教員免許をまだ持っていないので、いつもらえるかについての質問をされました。

個人申請で申し込んでいるため、提出日がギリギリになっています。

大学生は、大学で一括申請することを強くおすすめします。

最後に、こちらから授業公開や研究授業の頻度について伺いました。

東京都は初任者研究で、年3回の研究授業が必ずあるようです。

仕事の様子を見ながら、月1回は研究授業を行いたいと思っていましたが、そういう先生はいないようです。

これについては、今後も相談していきたいと思います。


○ 教科の先生との面談

物理を担当する先生と、面談する機会も設けていただきました。

物理担当は2人です。

私が2年生の物理基礎(2単位)を担当し、先輩の先生が3年生の物理(4単位)を担当することとなりました。

初任者ということで、コマ数を少なめに抑えていただいたようです。

その後、年間計画の立て方や、特に物理基礎・物理を2年間で教えていく上で、どの内容をいつ教えるか、しっかり連携して考えていくことなどを話しました。

また、授業の進め方についても伺いました。

僕はワークシート中心の授業しか経験がなかったのですが、その先生は板書を中心に進めるようです。

僕も、その方法を試してみようと思います。

初任者で手探りの状態なので、とりあえず「教えて『分かる』授業」を目指して精進していきたいと思います。

その他の授業形態については、また別エントリで考えたいと思います。

最後に、最近の大学入試の傾向などについてざっくばらんに話しました。

一様な磁場中で円運動する荷電粒子があったとき、磁場に垂直に一様な電場を加えるとどうなるか?という問題でした。

第一感は、円運動しながら並進運動する、というものですが、どうやら違うようです。

速度ベクトルが電場ベクトルに垂直な時、平行な時を中心に考えると、電場がない場合の回転半径に比べて、回転半径が必ず大きくなったり小さくなったりするので、単純な円運動にはならないようです。

そのような話をしているうちに、時間が遅くなってしまいましたので、事務室で提出すべき書類を頂いた後、帰宅しました。


第一印象は、とてもいい学校だな、というものでした。

学校に入るときも、生徒は「こんにちは。」と挨拶をしてくれました。

駅前の街路樹には、桜が咲き始めていました。

新生活に向けて、不安もかなり大きいですが、いい環境の中で生徒と共に勉強し、頑張っていこうという気持ちになりました。

物理史年表

高校で習う物理は、いつに作られた学問なのでしょうか。

 

自分の勉強を兼ねて、年表を作成しました。

私の主観で、物理の主な出来事をまとめました。至らない部分が多々ありますが、今後修正していきます。

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細かく、○○年に誰が何をした、というのを見ても仕方がありません。ぱっっと見た感じで、物理学がどのように発展してきたかが分かります。

 

なんとなく黒っぽいな、という視点で考えると、「古典力学(16-17世紀) → 電磁気・熱力学(18-19世紀) → 量子論(20世紀)」と研究が進んできたことが分かります。

 

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高校生が主に学ぶ分野を、力学・電磁気・熱力学・波・原子と分けたとします。

それぞれが完成したのは、

力学 : 1687 ニュートン or 1788 ラグランジュ

電磁気 : 1873 マクスウェル

熱 : 1850頃 (気体の状態方程式

波 : スリットの実験

原子 : 1924 ド・ブロイ波

となります。

 

年表が不完全なので十分な考察ができませんが、物理学といっても、古典的な古い物理学を高校生たちは学びます。古いといっても、物理学は数学と同様に、積み重ねの学問なので、一足飛びにいきなりシュレディンガー方程式、というわけにはいきません。

 

高校生には、これらの関係をどのように提示すればよいでしょうか?

年表を作ってみて、これをこのまま見せても、意味はないかな、と感じます。ただ見せるのではなくて、歴史的なストーリーがないとだめでしょう。

 

例えば、

 

昔は、占いを信じる人が多かった。星や惑星の動きを見て、未来の運勢を占った。だから物理学は、最初は天体の動きを予測したかった。また、17世紀のデカルトガリレオ・ガリレイは、「でたらめな、時と場合によりけりなことではなくて、いつ何時も成り立つ確かなことをいいたい」と考え、どうしたらそれができるか試行錯誤した。天体の運動を、常に正しく予測することはできるだろうか?ほとんど奇跡的に、天体の運動をほぼ100%の正確さで予測可能な理論ができた。こうして、「古典力学」が誕生した。

18世紀になると産業革命が起こり、人々の生活がかなり便利になった。蒸気機関は、人には出せない力を出すことができた。もっともっと便利な世の中にしたい。そう考えて、いつでも確実なことがいえる自然科学の方法を使って、蒸気機関を研究する人たちがでてきた。熱を使えば、いつまでも無限に動く、便利な機械を発明することができるだろうか?ほとんど奇跡的に、無限の機械はないことの証明と、最大効率をもたらす機関が発見された。こうして、「熱力学」が誕生した。

役に立たない物理もある。自然のなかには、災害が含まれる。ときに人を苦しめるのは、雷だ。雷は神の怒りの天誅なのだろうか?いや、雷の正体は「電気」だ、といった人がいた。それ以来、電気の研究は研究者をひきつけた。電気を調べるうちに、なんと磁石と関連があることがわかってきた。磁石も、古来人々をひきつけてきたものだ。電気と磁石が、本質的にはほとんど一体のものだなんて、なんてエキサイティングなんだ。1820年、研究発表会で、「それで、それは一体何の役に立つんですか?」と聞いた記者がいた。今では、電気なしには生活ができない。こうして、「電磁気学」が誕生した。

 

このような「お話」をしたところで、高校生は面白いと思うかはわかりませんが、色々試してみて、授業を改善していきたいと思います。

 

そもそも、年表を作ろうと思ったのは、学習指導要領で「エネルギー」が強調されていることに疑問を持ったからでした。

それについては、また別のエントリにまとめたいと思います。

 

今日は、その議論のための、準備まで。

争点から消えた「教育政策」(2014衆院選)

今年の都知事選に引き続き、衆議院選挙についても、「教育政策」という観点から各党のマニフェストを比較していきます。

その前に、1つ言いたいことを。
都知事選の時もそうでしたが、今回も教育政策は争点化していません。自民党の言うアベノミクスが争点、というのは他の政策への焦点をぼやかすまやかしだとしても、その他によく言及されているのは、安全保障政策(秘密保護法の強行採決の是非、集団的自衛権)、社会保障政策(年金、介護、少子化)、TPP参加の是非、などです。

もちろん、これらの政策が重要なのは言うまでもないのですが、教育政策も語らなければならない重要な政策の1つなのではないでしょうか?
特に自民党安倍政権下では、安全保障などと比べても遜色のないくらい大きな改革が行われようとしています。今からそれをみてみましょう。

本エントリでは、マニフェストのまとめは、エントリの最後に載せます。(少しごちゃごちゃしてるので)

また、初等・中等教育に関係あるもののみ考えます。(大学生の奨学金問題などは含みません)
まずは、各党のマニフェストから、私が気になる政策を抜き出して、コメントしていきたいと思います。

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自民党

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自民党マニフェストには、いいことも書いてあるのですが、容認できないことも書いてあります。

 

〜賛成〜

・開かれた学校づくり(教職員+地域の専門家)

・教育制度の柔軟化:フリースクールや中学夜間部の推進

 

〜反対〜

・カリキュラム改革

・特別の教科「道徳」、日本史必修化

(日本史は大事だと思うが、なぜ世界史ではなく日本史?)

 

他にも、入試制度改革、土曜授業の復活など、意見の別れる政策があります。

全体的にはボリュームもあり、時間をかけて作られている印象です。教育の専門家の意見+個人的なこだわり、で出来上がっている印象です。


公明党

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公明党で特徴的なのは、

 

・双方向型・課題解決型授業の推進

 

でしょうか。もちろん、これらの授業も一定の効果があるとは思います。

しかし、授業の形態については、各教員が様々なバリエーションを持ち、
それらを組み合わせて使う、というのが大事なのではないでしょうか。

 

民主党

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民主党マニフェストには、少しがっかりしてしまいました。内容が薄く、余り準備ができていないような印象です。

特に取り上げるとすれば、

 

・高校の無償化

・コミュニティ・スクール導入促進

 

でしょうか。これらは実際民主党政権時代に、一部実現したものでもありますし、
今回これに期待して投票しても、裏切られることはなさそうです。


維新の党

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最も、財源捻出について明確に示している党だけに、その点については期待も大きいと思います。しかし、教育政策に限っては、

 

・競争原理、教育バウチャー制の導入

教育委員会制度の廃止

・公設民間学校の設置

 

など、教育思想を破壊するような政策が並んでいます。
もちろん、教育予算の増加、など支持できる部分もあります。しかし、このネオリベラリズム維新の党のアイデンティティなのでしょう。

 


このように見てきて、私事ですが、「教員の待遇改善」を主張する党がいなくて、大変残念な気持ちになりました。

今年の6月頃に話題になった、OECDTALIS調査は何だったのか。
「日本の先生は世界一多忙」ではなかったのか。

しかし、これらの疑問に答えてくれる政党が存在しました。


共産党

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・報告書等書類作成の簡略化

教科書検定制度の改善

・教職員の定数増

・教員免許制度の廃止

 

などなど、ここには挙げられないほどたくさんの政策が述べられています。
「競争から連帯する教育へ」など、維新の党とは真っ向から対立する、清々しい姿勢です。

マニフェスト詳細がHPでみられる)も分厚く、長年1つの問題意識で議論を重ねてきている様子が分かります。


社民党

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共産党とひと括りで語られることの多い社民党ですが、マニフェストにはかなりの違いがあります。共産党は厚く、社民党は薄いです。
財源についても、共産党は真摯に向き合う姿勢がありますが、社民党には財源についてほとんど触れられていません。

 

・30人以下学級の実現

 

などは社民党のみ言っていますが、本当に実現できるのか、疑問が残るマニフェストです。


○次世代の党

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維新や石原氏のイメージ通りのマニフェストになっています。教育政策についても少なく、

 

・教育バウチャー + 「愛国心」の道徳教育

 

とまとめられます。

 


○生活の党、新党改革

教育政策はありません。
弱小政党は、マニフェスト作りも大変そうです。こういうところでも、大政党と小政党の有利不利が感じられます。

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以上、私なりの興味関心で各党の教育政策をまとめました。
都知事選でも、最も魅力的なマニフェストは宇都宮氏のものでした。今回については、共産党です。

私が「競争」に反対なのは、もちろん、私の身分も関係ありますが、心理学実験・研究の成果に基づく理由もあります。それについては、きちんと別エントリでまとめたいと思います。

ただし、どこに投票するかというのは、マニフェストだけでは決まりません。
色々なことを勘案して、投票に備えたいと思います。

最後に、各政党の教育政策まとめの表を載せます。
みなさんの、判断基準になれば幸いです。

 

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自由と選択と不安

苅谷先生、増田ユリアさんの共著、「欲張りすぎるニッポンの教育」を読んだ。

苅谷先生の著書を読むと目が覚める。

公立小学校で英語必修化の流れを受け、日本の教育システム、教育政治のダイナミズムをあぶり出すところから、本書は始まる。

今や、小学校のうちからインターナショナル・スクールに子供を通わせ、英語を身に付けて欲しいと願う親のみならず、幼稚園の段階からプリスクールという所に通わせる親も増えている。

彼らは、なぜ子供に英語を身に付けて欲しいのか?

インタビュー経験が豊富な増田さんは、「かっこいいから」というファッション性や、「英語くらいは身に付けておいてほしい」という必要性を挙げている。

おそらく、後者の理由のほうが強いだろう。

 

苅谷先生はここで思考を止めない。

では、なぜ「英語くらいは身に付けておいてほしい」のだろう?

そこには、漠然とした不安がある、と分析する。

将来、何が起こるかわからない。では、子供のうちから、なるべく色んなことを身に付けさせたい。

そこで、英語に限らず、ピアノ、スイミング、パソコン、書道、...

週に複数の習い事・塾に通う小学生が増えている。

勉強もしっかり身に付けてほしい。

そのためには、「ゆとり教育」なぞやっている公立学校では「不安」だ。

こうして、親は様々な教育パッケージを求める。

『週1回の練習で、3ヶ月後にはここまでできるようになります。』

『毎日宿題1時間。これを続ければ、必ず私立○○学校に合格します。』

 

苅谷先生の思考はまだ止まらない。

では、なぜ「不安」が生じるのか?

その鍵は「自由」と「選択」にある。

日本は、近代化を経て、生まれで人生が決まる社会制度から、なるべく生まれで何も決まらない「教育の機会均等」を求めてきた。

その結果、その子の将来は、将来になってみないとわからなくなった。

「自由・選択肢」が多様化したことで、「可能性」が増えた。

「可能性」が多様化する、その中で人生の道筋が1本に決まるということは、何かを「選ばない」選択を多く行うということだ。

そして、失敗したらどうしようという「不安」が生じる。

すなわち、「自由・選択肢」から「可能性」が生じ、「可能性」から「不安」が生じているのである。

 

翻って、今の教育改革の方向性はどうだろうか?

親の「不安」を「解消する」ために、「自由」を「拡大」しようとしている。

学区を撤廃し、学校選択制を導入する。教育バウチャー制にし、親が教育機関を選ぶ。総合高校・単位制高校を増設し、生徒が自分に合ったカリキュラムを選択する。

やりたいことを、やりたいように選択できます。望むことを、望むように実現できます。だから大丈夫です。安心してください。

本書の第一章では、このパラドックスを見事に炙り出している。

「なぜ?」を繰り返すこと、私はまだまだその習慣が身に付かない。

だからこそ、本書の思考法はとてもいいお手本になっている。

 

 

欲ばり過ぎるニッポンの教育 (講談社現代新書)

欲ばり過ぎるニッポンの教育 (講談社現代新書)

 

 

平成27年度東京都教員採用試験の結果と過去の動向(中高共通・理科)

先日、平成27年度東京都教員採用試験の結果が発表されました。

私自身は、嬉しいことに合格という結果になりました。

これで、来春からは東京都の教員として働くこととなります。

残された学生期間で、いかに勉強することができるかが勝負だと思っています。

特に、物理に関しては、自信を持って教えることができるよう、法則を体系化し、整理しておきたいと思います。

本エントリでは、試験のデータの一部について、過去の動向をまとめておきたいと思います。

データは、中高共通の理科のみを扱います。

ただし、今年の試験については、今のところ応募者数と名簿登録者数しか分かっていないので、残りのデータは推測ということになります。


○ 倍率

まずは、合格(名簿登録)の倍率の推移を見てみましょう。

倍率は、(受験者数)/(名簿登録者数)にて算出します。

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"common", "science"というのは、それぞれ中高共通全体、中高共通・理科の倍率です。

"physics", "chemistry", "biology"は、それぞれ物理、化学、生物の科目毎でみた倍率です。

また、2014年(今年)のデータは、後述の方法により私が推定した値なので、正式なデータが公表されたら書き直します。

こうして見ると、まずは理科(水色)の倍率は全体(赤)の倍率よりも低いことが分かります。

社会や音楽、美術などに比べると、やはり理科の教員の倍率は低いようです。

また、物理(緑)・化学(青)が同じような推移を示しているのに対し、

生物(紫)は上下変動が激しいです。

2009 → 2010では半分程度に下がったり、2012 → 2013では約2倍に上がっています。

物理・化学は、2011 → 2012にこちらも約2倍に上がりました。

その後は化学は横ばい、物理は徐々に下がっています。

今年の物理の推定倍率は4.7倍となり、2014年の他の科目と比べると、一番小さくなっています。

今年物理を受験することができたことは、過去2年に比べればラッキーだと言えるでしょう。


○ 合格者数(名簿登録者数)

次に、合格者の絶対数の推移を見てみましょう。

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y軸は、中高共通全体("common";赤)だけ1桁違うので、値を左側の軸に記してあります。

これを見ると、中高共通全体の合格者が、毎年200人程度の幅で増減しています。

近年は採用者数を増やしている、との政策とは裏腹、2011 - 2013 にかけて合格者は減っていますが、

今年は、2年前、5年前の水準に戻ったようです。

次に、理科(物理・化学・生物)だけのグラフを見てみましょう。

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これを見ると、理科の中だけでも、合格者数の増減が激しいことが分かります。

合格者数が半分になったり、倍になったり、というのは珍しいことではないようです。

今年については、どの教科も、前年に比べて合格者数は増えました。


○ 受験者数

最後に、受験者数の推移について見てみましょう。

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中高共通全体の人数は、2011年をピークにかなり増減しています。

今年も、応募者数(公表済み)から考えて、減少傾向が続くと予想し、推定値を出しました。

一方、理科の三科目、特に物理と生物はほとんど変動がありません。

毎年、一定数の志望者が受験すると考えてよさそうです。

2014年も、この傾向が続くと予想し、推定値を出しました。

受験者数の推定値が分かると、倍率の推定値も算出できます。(合格者数は公表済み)

このようにして、倍率の計算を行いました。


○ 最後に、倍率に戻って、、、

試験の難しさ=倍率は、その年の受験者数と合格者数の比によって決まります。

まず、中高共通全体について考察します。

2009 - 2011 の間は、受験者数が増加しましたが、それに伴い合格者数も増加したため、倍率は7倍 ~ 6倍の間を推移しました。

2012 - 2013 にかけては、受験者数も減少しましたが、それ以上に合格者数が減り、倍率は約9倍まで上昇しました。

そして、今年に関しては、受験者数は相変わらず減ったものの、合格者は増えました。

そのため、倍率も6倍程度に急落しました。

全体的には、今年の中高共通は、合格しやすくなっていたようです。


次に、理科の三科目について考察します。

こちらは、「受験者数が毎年ほとんど変わらないで推移する」という大きな特徴があります。

そのため、試験の難しさ=倍率は、合格者数によって決まります。

その合格者数が、「○ 合格者数(名簿登録者数)」で見たように毎年大きなレベルで増減します。

年によって、2倍になったり、半分になったりしています。


今回調べたことをまとめると、その年の倍率が決まる要因には、科目によって様々なものが考えられますが、

科目毎の倍率がどのようになるのかは、ふたを開けてみるまでわからない、ということです。

試験前には、中高共通の応募者数しか公表されません。

しかし、その内訳を見てみると、理科の受験者数は毎年ほとんど変化がないようですが、それは応募者数からは予測できません。

ましてや、その年の理科の合格者数(名簿登録者数)は、受験者数とは独立に推移するため、全くわかりません。

試験前に公開される採用見込み数は、中高共通全体の数値しか発表されず、教科毎にどうなっているかはわかりません。

そのため、応募者数と採用見込み数から計算される倍率は、ほとんど気にする必要はありません。

なぜならそれは、科目毎の倍率とはほとんど関係ないからです。

生物の倍率なんて、過去5年の間にこんなに乱高下していてびっくりしました。


その年の難易度については、受験後に数値が公表されて、あぁ、今年は難しかったんだな、簡単だったんだな、と振り返るしかありません。

1次試験については、教職教養+専門教養で7割を取れるように準備し、論文、面接については他者の意見を聞きながら地道に練習を重ねる、というように、

着実に、自分の準備を進めていくのが、結局残された最後の、そして最大の対策になるということだと思います。

教育と平等と自由化

苅谷剛彦著「教育と平等」(中公新書)を読みました。

 

とても面白かったです。

 

教育財政の視点から、戦後教育がどのように「機会均等」を実現していったかを分析したものです。

 

手に入るデータをもとに物語を組み立てていく手法には、苅谷氏の思想•イデオロギーが全く表面化していません。

 

その語り口にしびれます。

 

ただ、中公新書からの前著「大衆教育社会のゆくえ」では、戦後教育が「教育の機会均等」を傘に、いかに不平等を見えなくしたor見てこなかったかを厳しく批判しています。

 

逆に今回は、戦後教育の、ある意味で「ポジティブ」な部分に注目しています。

 

集めるデータによって、何を語るか、が変わってくることが分かる、よい例だと思います。

 

内容についてはまた機会があればまとめるとして、本エントリでは、本筋とは外れますが、興味深かった話を書いておきます。

 

現在、戦後教育は、「画一主義」「詰め込み主義」「評価の一元化」などといって批判されることが多いです。

 

この反対として、教育における「個人の尊重」「個人化」が語られます。

 

しかし、この「個人化」も、よくみると複数種類に分類することができます。

 

それを示したのが、以下の図です。

 

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これらは、一見同じ「個人化」を主張していても、そのベクトルはそれぞれ違う方向を向いています。

 

議論の際には、これらの違いをしっかり整理しながら、議論することが大切だと思います。

 

本エントリは、この違いの整理まで。

武蔵野市市民会議を傍聴してきました

前回、現代社会のコミュニティの在り方についてのエントリを書きました。

考えるだけでなく、実践も必要だと考え、実際に私の住む街の市民会議に参加してきました。

因みに、私は武蔵野市の住人です。

武蔵野市では、昭和46年から「武蔵野市方式」という市政運営システムを採用しているようです。

市政運営に当たって、市民参加を念頭においており、

・公募市民による長期計画策定会議
・無作為抽出市民によるワークショップ
・市長とのタウンミーティング
NPO等市民団体との連携

など、様々な取り組みが為されているようです。

今回は、平成24〜33年までの第五期長期計画中における、調整計画市民会議を傍聴しました。

全5回中の第5回に当たり、「市民会議の振り返り」というテーマに関心を持って聴きました。


〜感想〜

16人の応募者の中から、作文等で選ばれた10人の市民の方々が委員として参加されていました。

まず率直な感想として、みなさんそれぞれしっかりとした意見をお持ちで、素晴らしい方々が集まっている、という印象を受けました。

草の根のレベルで、このような議論が為されていることに、とても嬉しい気持ちになりました。

以下、気になった意見を書いておきます。

まず、時間の制限が厳しかったというものです。

第2〜4回の会議では、健康・福祉、子ども・教育、文化・市民生活、緑・環境、都市基盤、行・財政について話し合われました。

一回につき、19:00〜21:00の2時間で2テーマ、つまり、1テーマ1時間です、

委員は全10名ですので、1テーマにつき最大1人6分。事務連絡等もありますから、1テーマにつき、一人一言、ふた言程度でしょう。

これでは、ただの意見交換になってしまって、議論にならない。

会議の報告書も意見の羅列になってしまって、内容が深まらなかった、という反省が多く聞かれました。

逆に言うと、みなさん、やはり委員の間でもっと議論がしたかったようです。

このような態度も、素晴らしいものだと思います。

修正案としては、もっとネットを活用できるのではないか、とのことでした。

特に、第4回〜第5回の間の期間には、メールによる議論が活発に行われたようでした。

今後は、メールによる議論の機会を設けていくとのことでした。

逆に考えると、市役所ではメールによる議論というのは為されないようですね。

関連して、私は、ネット掲示板による議論もあり得ると思います。

先駆的な例としては、民主党政権時代に、文科省のサイトで「熟議かけあい」という取り組みがありました。

私が実際に参加したわけではありませんが、鈴木当時副大臣の説明によると、教師、保護者などの学校関係者、当事者の生の意見を聞くことができて、効果が高いとのことでした。

いずれにせよ、インターネットの活用による熟議の場の設定が今後の課題と言えそうです。

(因みに、現在は「熟議かけあい」のサイトは運営されていません。下村さん...)


あとはやはり、無関心層や若者層を、いかに市民参加取り込むか、という問題意識が気になりました。

実は、第四期の長期計画策定の市民会議には、100人以上の市民が参加したようです。

ただ、今回の公募の応募者は16人。

おそらく、呼びかけ方法の違いなどの要因があると思いますが、この数字をどう見るか、というのをきちんと評価して欲しいと思います。

関連する意見で、「行政計画」ではなく「市民計画」であるべきだ、との意見がありました。

つまり、市民は計画段階に口を出してあとは放ってしまうのではなくて、実行段階もしっかり参加して、一定期間後に評価を行うまで、市民がしっかりコミットメントするべき、とのことでした。

こちらの意見にも、とても納得させられました。

〜私が考えたこと〜

無関心層の市民参加、実行段階へのコミットメントに関して、私が考えたことも記しておきます。

特に、若者がどうコミットメントしていくか、を考えます。

若者、という視点から見ると、実は、武蔵野市は大学が複数ある学術都市である一面を持っていると思います。

ブックオフを訪ねても、学術系の書籍が結構売られているのを見かけます。

つまり、武蔵野市政の中で、この大学生たちをいかに参加させていくか、というのが重要だと考えます。

以下で、2つアイデアを述べます。

1つ目は、大学と合同でイベントなどを開催することです。

例えば、学園祭に地域の方が参加できるようなイベントを設けて、大学で若者と地域の方が交流できる機会を作ったり、

音楽ホールで複数大学のコンサートを開いたり、

などです。

特に文化祭は、外部の方がたくさん来れば来るほど盛り上がると思うし、学術的なイベント、スポーツ的なイベント、ポップカルチャー的なイベント、など、多くの可能性があると思います。

また、文化祭とは別の日程で、イベントを用意してもいいでしょう。

例えば、市政に関する勉強会を行政側が開いて、行政の仕組みや武蔵野市の抱える問題などを議論し、コミットメント意欲を喚起することもできるかもしれません。

2つ目は、地域のコミュニティセンターを大学生に利用してもらうことです。

私の出身大学では、サークル活動は基本的には大学の施設を利用していました。

しかし、サークル数の増加に伴い、大学施設のサークル間による取り合いが発生しており、地域の施設を利用したいと思う団体も多かったと思います。

幸い、武蔵野市には複数のコミュニティセンターが存在し、一般に公開しています。

これを、大学生にももっと使ってもらったら良いと思います。

具体的には、

1.市外住民でも使えるようにすること
2.インターネットを通じて予約可能なシステムを作ること

が必要だと思います。

武蔵野市民に限らず、武蔵野市の大学生がコミュニティセンターなどの利用を通じて少しでも地域の方と交流する機会があれば、実際の武蔵野市民の学生も市政に興味を持ってくれるのではないでしょうか。

以上2点が、私が思いついたことです。

大学生の場合、卒業すると引っ越してしまう可能性が高いため、結局武蔵野市における若者参加とは、大学サークルと密接に関係した形で参加する仕組みにしないと、成功しないのかなと思います。

問題点としては、上の2点はアイデアベースの議論になってしまっていることです。

「なぜ若者は市政に参加しないのか?」という問いを立て、

問題解決の手順(仮設立てとそれをバックアップするファクト)を踏んで、立案する必要があると思います。



○ 意識の問題かシステムの問題か

また、このような議論をする場合に重要なのは、「意識・規範」の問題として捉えない、ということです。

「市民参加を呼びかけよう」「市政参加について教えよう」という姿勢では、結局無関心層は取り込めない、ということです。

そうではなくで、参加せざるをえないようななシステムをどう作っていけるか、ということを考えなければいけません。

なぜならば、意識というのは価値観の問題なので、「市政参加するのがよい」と考えるかどうかは個人個人の問題になってしまうからです。

その意識を、強制的に統制することはできないし、市民参加のそもそもの目的に反しています。

そうではなくて、その意識というのは、市政参加を通して一人一人が変容プロセスを通じて獲得していくものだと思います。

なので、参加せざるをえないシステム作りが、しなくてはならないことだと思います。

上で私が挙げた2点は、厳密にはこの「参加せざるをえないシステム」になっていません。

しかし、例えば学園祭でイベントを開いた場合、大学構内にあって大学生が誰も参加しないイベント、というのも想定しにくいでしょう。

そういう意味では、少しは大学生も参加することになるはずです。

このように、システムをどう変えていくか、というのを今後議論していく必要があります。



今回市民会議に参加してみて、地域のコミュニティに参加する、ということが、少しずつ実感できるようになってきました。

もうひとつだけ、気になった委員の意見を引用したいと思います。

それは、今後のビジョンとして、「他の追随を許さないような、魅力的な取り組みを行う自治体になりたい」という意見でした。

なるほど、その通りだ、と思いました。

つまり、武蔵野市が自治体として何らかの先駆者となり、ニュースなどで取り上げられたとします。

そして、そのような取り組みができたのは何故か、というと、その背景には

「市民参加」と「熟議」があったと分析されるとします。

そうすると、その取り組みは全国へ広がっていくでしょう。

そうすると、1人一人が自分事だと引き受けて、考え、参加する、という民主主義に、一歩近づくことになるでしょう。

武蔵野市には、それだけのポテンシャルがあるように思います。

今回の市民委員の方たちの発言を受けて、武蔵野市ならできるのではないか、という気持ちを持つことができました。

その、未来のビジョンまで見据えた上で、今後も市政にコミットメントしていきたいと思っています。

(ただし、私はいつ引っ越すかは分かりませんが...)